孤独感。ひとりじゃない。
どうしても、多汗症であれETSの後遺症であれ僕が悩んできたように
悩んでいるように同じような方もたくさんいらっしゃると思います。
でも同じように悩みを言うことができる人が一人もおらず、
孤独感や悲壮感を感じている方がほとんどだと思います。
実際、僕もそうでした。
今でも強く感じています。
その渦中にいる僕が言うのもおかしいのですが、
ひとりじゃない・・今ではそう思える自分がいます。
「リバーサル手術」
日本では行うことができない、高額な資金が必要だ、コロナ渦、
様々な困難が自分の前に立ちはだかっています。
ひとりでは到底敵うはずのない困難に身も心もつぶされてしまいそうな状況でも前に向かって少しずつ進んでいけてる気がします。
インターネットを通じて「リバーサル手術を行った」「リバーサル手術を検討している」そういった方々と知り合うことができたからです。
同じ境地に立たされている方やそれを乗り越えてきた方々の存在でなんとか心の平穏を保てています。
いま、僕のブログを見て同じように苦しんでいる方がいらっしゃるようでしたら
ぜひそういった方々にコンタクトをとることをおすすめいたします。
僕自身の話ではありますが身近な人間には悩みを全然打ち明けることができません。
家族、職場、友達
一番相談したいのが両親ですが、相談できない自分がいます。
なぜなら身体的なこと、多汗という体質に産んだことに対して、ショックを受けるのではないかということを思ってなかなか打ち明けることができません。
両親に相談する。
なかなか二の足を踏んでいますが、いい報告が皆さんにお伝えできるように頑張ってみようと思います。
汗汗汗。
フィンランド渡航規制情報まとめ
今現在、リバーサル手術の大きな壁としてあるものが
コロナ渦での入国出国の制限です。
これに関して言えば自分自身の努力も決断も関係なく前に進まないことが
ETSによって精神的に不安定な状態にあるなか、かなりきついです。
ワクチン接種や緩和の動きなど明るい話題もチラホラと出てきてもいるので
動けるタイミングでしっかり行動に移せるように準備は必要だと感じています。
まずは出国にあたっての情報をまとめてみました。
①フィンランドの入国規制情報
入国規制措置を3月18日まで延長中。
フィンランド国籍者及びフィンランド在留外国人を除き、日本を含む複数の対象国からの入国を原則禁止する。
ただし、人道上の理由で渡航する者、医療従事者、貨物輸送従事者、国際機関職員等をはじめとした一部の職務従事者は入国を許可する。
日本からの入国に対しては14日間の自主検疫が必要。
制限の基準は、各国の過去2週間で10万人当たりの新規感染者数25としており、基準以下の国からの入国は制限されず、入国後の自主検疫も求められません。
過去2週間の日本国内のコロナ感染者数
2021/2/26 | 1053 |
2021/2/27 | 1214 |
2021/2/28 | 999 |
2021/3/1 | 698 |
2021/3/2 | 888 |
2021/3/3 | 1243 |
2021/3/4 | 1169 |
2021/3/5 | 1148 |
2021/3/6 | 1051 |
2021/3/7 | 1064 |
2021/3/8 | 600 |
2021/3/9 | 1127 |
2021/3/10 | 1315 |
2021/3/11 | 1319 |
累計で14888人。
日本の総人口が124271318人。
10万人当たりの新規感染者数は11.9人。(計算が間違っていたらごめんなさい)
入国制限の見直しが3月18日以降に見直される可能性もでてきましたが、
どうなるかは本当にわからないです。
外務省に問い合わせをすると、ただし「人道上の理由で渡航する者」として渡航できる可能性はあるとのことでした。
その医療がフィンランドでしか受けられない。フィンランドの医師からの推薦書、もしくはすでに連絡は取りあっているか否かそのことを含めてフィンランド政府が判断するとのこと。
リバーサル手術に関しては命に係わる緊急はないと判断されることもあるかもしれないです。
各種問い合わせが可能な場所
①外務省
各国の入国情報を伺うことはできますが、詳しいことはフィンランド大使館に問い合わせしてくれとのことでした。
TEL 03-3580-3311
外務省 海外安全ホームページ|新型コロナウイルスに係る日本からの渡航者・日本人に対する各国・地域の入国制限措置及び入国に際しての条件・行動制限措置
②フィンランド大使館
渡航情報の担当者が火曜金曜日の10時から12時の間しかいないとのことで、
その時間以外に電話するとその時間にしてくださいと案内されます。
TEL 03-5447-6000
代償性?自分が対価として得たもの失ったもの。
代償性発汗。
この言葉の意味を考えていみると
なぜ自分だけが代償を払い苦しみ生活をしているのかと卑下してしまいます。
でも代償性発汗前と後では生活は大きく変わり、
得たものも大きかったのも事実です。
僕自身はETSについては反対派ですが、
肯定派の方もいらっしゃるのはその代償と天秤にかけて得たものが大きいと感じている方もいるということです。
今回はなぜ僕が反対の意見をもっているのか?
僕の考える、プラスマイナスの天秤を書いていこうと思います。
プラスの面は手汗がなくなることで今までしてこなかったような手を使った他人とのコミュニケーションに気を付かわなくなってもよくなったことです。
日常生活でも仕事でも自分の手と他人の手が近づく瞬間、ことはかなり多いです。
そのつど気にしてばれないようにしてた手汗の日々はかなりのストレスでした。
それがなくなるのはかなり大きいです。
特に大きかったのは異性に触れる時に気持ち悪がられてないかな?
そんな心配がなくなったことで、「思いっきり女性と手をつなぐ」そんなことがでっきたのはETS後でした。
それ以前はできませんでしたので。
今まで手汗で悩んでた内容全てが解決します。
でもその代償として現れる副作用もかなり大きいです。
まず第一にあるのが精神面での落ち込み。
体にめぐる神経を断つことで常に精神面で気力が枯渇する感覚。
感覚でしかないので言葉にしにくいのですが、神経回路の異常で起きる自律神経失調症が常に起きている状態になっているだと考えてます。
第二に胴体部分の異常な発汗。それにともなう頭部発汗の減少。
胴体部分の汗は想像以上に多いです。
ETS前はTシャツの変えを持ち運ばないといけないぐらいにしか思ってませんでしたが、そういったレベルではございません。ビチャビチャになります。
夏での外出がかなり減ります。
本来であればレジャーや遊びにみちた夏が嫌い、苦手な季節になってしまいます。
そして頭部の発汗がなくなることで体力面でかなり落ちます。
熱中症は頭部に熱がこもることで起きます。それが簡単に起こるそんな感じ。
イメージはファンのついてないパソコン。
熱を逃がせないのですぐ熱くなって落ちてしまうパソコン。
そのパソコンで効率的に仕事をしたり、能動的に制作活動をすることはできません。
その状態でも日常生活や仕事は一生ついて回ります。
これはかなりきついです。
僕の場合は得たもの失ったものの天秤では明らかに失ったものが大きかった。
でも幸いリーバーサル手術という可能性が残されているから生きていけている。
生かされている感覚です。
ですが
ETS手術を行ってしまったのは自分自身の下調べであったり認識の不足からだったので
リバーサル手術についても情報を集めて、経験された方の言葉も聞いたうえで考えていきたい。
そんな風に考えています。
では汗汗汗。
まずは自己紹介から。小学生まで。
はじめまして。汗の子と申します。
汗の子。
なんでこのような名前にしたのか・・?
理由は迷うことなく、生まれてから「汗」というものに思い悩んできたことに他なりません。
多汗症という言葉を聞いたことのある方も多いとおもいます。
僕は幼少のころから、この「多汗」という症状に大きく苦しめられてきました。
幼少といっても自分の汗の量を気にしだしたのは、小学校低学年ぐらいの時だったかと思います。
小学校に入り、他者との関わりが増え、他の子と自分の体質の差に目がついてわかるようになってきました。
特に手足の汗。手の汗が。
学校での日常生活は手と手を合わせて他者とコミュニケーションをとることが多かったと思います。
体育の時間のフォークダンス。
僕は小学生の時に女子に初恋しました。
異性に対してときめきを感じるなか、この反強制的に女子とのパーソナルな距離になるフォークダンスを心底嫌がってました。
手の汗がばれるから。手をしっかり握ることができない。
相手の子が手の汗を気持ち悪がっている。手汗を指摘されるとそのように思えて仕方がなかった。
大人になって思うことはみんながみんなそう感じているとは思えませんが、小学生の僕には辛い体育の思い出です。
現在にいたるまでなかなか異性に対する苦手意識がぬぐえないのは、この時の経験がスタートのように思えます。
僕の家系は医者家系で小さなときから「勉強。勉強」「えらくなりなさい」と言われて育てられてきました。
そもそも頭はよくはないうえに、テストの時にも手汗の悩みがついてまわりました。
手汗で書いた文字が滲む。
用紙がふやける。消しゴムでやぶける。問題に集中すればするほど手汗がでる。
プリント用紙を汗でダメにしないように集中する。テストに集中できない。
悪循環でのなかテストで好成績をだすことはできませんでした。
そのふがいの無い息子に対して父親からの暴言暴力で子供ながらに劣等感を感じてました。父親の怒りの原因は家系のことからくるもので、決して愛情を注がれてこなかったわけではないが父親に対して潜在的に苦手意識を感じていました。
この感情は中学高校と進学するにつれ憎悪に変わっていくのですが、そのことについては次のブログで書きます。
「学校」だけでなく「遊び」にも気を使っていたのを覚えています。
まずは友達の家で遊ぶスーパーファミコンです。
そもそも僕の家庭はスーパーファミコンが禁止で友達の家で初めて遊ぶゲームに手汗をびちゃびちゃにかいてプレイしました。
みんなで遊ぶゲームはコントローラーを回して遊ぶものがほとんどで、コントローラーをビチャビチャにしてしまうことを恐れながらのゲームが楽しいわけがありませんでした。
唯一、僕の家で許されていたのがゲームボーイでした。
ゲームボーイはまさに僕のもの。汗で誰にも迷惑をかけずに楽しめるものでした。
ポケモンブームも相まって僕はずーーーーとゲームをしてました。
あと自宅の庭での遊び。これはだれのことも気にせず、大汗かいて遊べる場所でした。
なにもやっても自由な庭での僕はまさに王様でした。
その庭も高校生のときの引っ越しで失い僕の人生は大きく狂っていきます。
そのことについてもおいおい語ります。
汗のことを気にしながらも楽しい小学生時代をすごしました。
庭とゲームボーイに感謝です。
ですが中学高校と汗からくるコンプレックスの塊がズドーンと大きくなっていきます。
そのことについては次回以降おいおい書いていきます。
では。汗汗汗。