まずは自己紹介から。小学生まで。

はじめまして。汗の子と申します。

 

汗の子。

なんでこのような名前にしたのか・・?

理由は迷うことなく、生まれてから「汗」というものに思い悩んできたことに他なりません。

 

多汗症という言葉を聞いたことのある方も多いとおもいます。

僕は幼少のころから、この「多汗」という症状に大きく苦しめられてきました。

 

幼少といっても自分の汗の量を気にしだしたのは、小学校低学年ぐらいの時だったかと思います。

小学校に入り、他者との関わりが増え、他の子と自分の体質の差に目がついてわかるようになってきました。

 

特に手足の汗。手の汗が。

 

学校での日常生活は手と手を合わせて他者とコミュニケーションをとることが多かったと思います。

 

体育の時間のフォークダンス

僕は小学生の時に女子に初恋しました。

異性に対してときめきを感じるなか、この反強制的に女子とのパーソナルな距離になるフォークダンスを心底嫌がってました。

手の汗がばれるから。手をしっかり握ることができない。

相手の子が手の汗を気持ち悪がっている。手汗を指摘されるとそのように思えて仕方がなかった。

大人になって思うことはみんながみんなそう感じているとは思えませんが、小学生の僕には辛い体育の思い出です。

 

現在にいたるまでなかなか異性に対する苦手意識がぬぐえないのは、この時の経験がスタートのように思えます。

 

僕の家系は医者家系で小さなときから「勉強。勉強」「えらくなりなさい」と言われて育てられてきました。

そもそも頭はよくはないうえに、テストの時にも手汗の悩みがついてまわりました。

手汗で書いた文字が滲む。

用紙がふやける。消しゴムでやぶける。問題に集中すればするほど手汗がでる。

 

プリント用紙を汗でダメにしないように集中する。テストに集中できない。

悪循環でのなかテストで好成績をだすことはできませんでした。

 

そのふがいの無い息子に対して父親からの暴言暴力で子供ながらに劣等感を感じてました。父親の怒りの原因は家系のことからくるもので、決して愛情を注がれてこなかったわけではないが父親に対して潜在的に苦手意識を感じていました。

 

この感情は中学高校と進学するにつれ憎悪に変わっていくのですが、そのことについては次のブログで書きます。

 

「学校」だけでなく「遊び」にも気を使っていたのを覚えています。

まずは友達の家で遊ぶスーパーファミコンです。

そもそも僕の家庭はスーパーファミコンが禁止で友達の家で初めて遊ぶゲームに手汗をびちゃびちゃにかいてプレイしました。

みんなで遊ぶゲームはコントローラーを回して遊ぶものがほとんどで、コントローラーをビチャビチャにしてしまうことを恐れながらのゲームが楽しいわけがありませんでした。

 

唯一、僕の家で許されていたのがゲームボーイでした。

ゲームボーイはまさに僕のもの。汗で誰にも迷惑をかけずに楽しめるものでした。

ポケモンブームも相まって僕はずーーーーとゲームをしてました。

 

あと自宅の庭での遊び。これはだれのことも気にせず、大汗かいて遊べる場所でした。

なにもやっても自由な庭での僕はまさに王様でした。

 

その庭も高校生のときの引っ越しで失い僕の人生は大きく狂っていきます。

そのことについてもおいおい語ります。

 

汗のことを気にしながらも楽しい小学生時代をすごしました。

庭とゲームボーイに感謝です。

 

ですが中学高校と汗からくるコンプレックスの塊がズドーンと大きくなっていきます。

そのことについては次回以降おいおい書いていきます。

 

では。汗汗汗。